パパ・ジョー・ジョーンズについて

ジョー・ジョーンズ

 ジョー・ジョーンズ(JO JONS)はスゥイングジャズ時代の偉大なドラマーです。
笑顔でとてつもないテクニックを披露するパパジョーに、多くのドラマーが影響を受けました。私も中学校一年生の時に彼の教則用レコードを試聴もせずに買いました。彼の英語での解説と模範演奏が録音されており、ジャケットには日本語に訳された彼の講義の文章がありました。ジャズのレコードを初めて買ったのと、思っていたより個性のある演奏に、こんなレコード買うのではなかったと後悔しました。今では私の宝物になっています。

ボーイスカウトとジョー・ジョーンズ

 ボーイスカウトの鼓隊でスネアドラムを借りてきて自宅で色々練習をしているうちに、先述したジョー・ジョーンズの「ザ・ドラムス」と言うレコードを私流に耳でコピーしてそれ風に叩くようになりました。YouTubeも無い時代だから苦労しました。今、YouTubeの動画を観てこのように演奏していたのかと感心しています。中学校の音楽の授業で準備室で先生の前で楽器の演奏を披露する試験があり、私は聴きよう聴き真似で、ジョー・ジョーンズ風にスネアドラムを演奏して見せました。先生からは結構良い評価をもらったと思います。
 1911年にシカゴ出身のドラマー。カウント・ベイシー楽団での活躍が有名でカウント・ベイシー(ピアノ)、フレディー・グリーン(ギター)、ウォルター・ペイジ(ベース)と共に「オール・アメリカン・リズム・セクション」と呼ばれた。後のフイリー・ジョー・ジョーンズと区別する為に「パパ」の愛称が付き「パパ・ジョー・ジョーンズ」と呼ばれています。
 いつもニコニコと笑顔で演奏する事から、とても柔和な性格が予想されるが、あるエピソードからは逆の顔を感じ取ることになります。
 映画「セッション」の中に逸話が出てきたが、かのチャーリー・パーカーが若い日にジャムセッションを行ったとき、ひどいサックス演奏ソロを止めなので、シンバルを鳴らして終わることを促していたのだが、パーカーがあまりに気づかず夢中になっていたので、シンバルを足元に投げて気づかせたというものです。
 パパジョー自身はそれほど悪意が無かったようだが、パーカーは非常にショックを受け、この逸話に尾ひれが付くようになったそうです。しかしこの件が後の偉大なパーカーを生む一つのきっかけにもなったようで、パパジョーはその点でもジャズ史における重要人物と言えるでしょう。
 パパ・ジョー・ジョーンズは歴史上最も偉大なジャズドラマーの一人でありますが、晩年は非常に不遇な生活を送っていたそうです。
 黒人差別の激しい時代に活躍していたパパジョーはレコード会社の画策で一切の印税収入がなく、演奏ができない年齢になってからはとても貧しい生活を送っています。街中では自分が演奏したレコードが売っていても、自分はそれを聴くステレオさえ買えなかったそうです。何とも悲しい話ですが、パパジョーが残した功績は後のミュージシャン達によって永遠に残ることでしょう。

パパ・ジョー・ジョーンズのプレイスタイル

 いつもニコニコしながら演奏するのですが、技術レベルはとんでもなく高く、むつかしい事を平然とした雰囲気でやってのけます。単にテクニックでいえば、ドラマー史上トップ10に入るといってもよいのではないでしょうか。

またリズムやグルーヴが柔らかく優しいのが特徴的です。聞いていてとても心地よいリズムです。
当時はPA技術が発達しおりませんから、ドラマーは大きな音を出すと歪んでしまいます。よく「柔」のドラムと言われますが、必要な音のみで構成されたドラムソロは「侘び寂び」のようなものさえ感じます。
また、ブラシ奏法にも長けておりハンドドラムでも素晴らしい演奏を行います。タップダンスも出来たそうで、何をやらせてもすごいミュージシャンです。
「全てのジャズドラマーはパパ・ジョー・ジョーンズを通っている。」と言われており、間違いなく、今日のモダンジャズの礎を築いた一人と言えるでしょう。
当時、左足で踏む「ハイハット・シンバル」奏法を恐ろしいまで極めたのもパパ・ジョー・ジョーンズです。メロディックに流れるような演奏から、アクセントを効かせてキレッキレの奏法まで考えらないほどの変化を、ドラム奏法に加えてくれたのも彼のおかげです。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪