本の楽しさ
読書は本来楽しいものです。名作を読むだけで、国語力や文章力が伸びるし人生の勉強にもなります。
教科書に載っている話だけ読んで本嫌いになるなんてそんなもったいないことはありません。
活字が苦手なら図鑑から入ったらいいし、読書感想文が必要ならエッセイを読むだけでも立派な読書体験です。
漫画が好きならライトノベルも読みやすいですよ。
本は面白い!
そう思えなければ子どもが本離れするのは当然なんです。
これだけの良書が身近で手軽に読める日本にうまれたのだからそれを生かさない手はありません。
あなたはなにが好きですか?
そこをきっかけに探せば必ずいい本にめぐりあえます。
読書にしろ何にしろ無理にさせるのは間違っています。
ゲームや漫画は最初から面白いから子どもが自分から夢中になるのです。
勉強だってわかったり興味を持てば積極的にやるようになってくれますよ。
子どもの個性
私は昔も今も理数がからきしですが、どんなに簡単な問題もわからなかったからといって親から怒られたことはありません。
机上の学びなんて大人になってからでもいつからでも取り返せます。
生きた学び、身をもって知った経験や思い出に残る体験の方が長い人生の助けになります。
普通はその子にとっては世間が押し付けている基準にすぎません。
リコーダーでドレミファソラシドを吹けないことを中学の先生から問題にされたことがありましたが、私はできなくてかまわないと思っています。
大体、学校のシステム自体が平均を気にしすぎなんです。
誰も好きでできないのではありません。
努力しているのにすぐに結果がついてこないから苦痛に変わるのです。
得意なこと、興味を持っていることを伸ばしてあげるほうがずっといいです。
日本は一定の基準を勝手に設けてそこに追いつけないと同じでないことを問題にして子どもを追い詰めます。
だから学校がいやになるのです。
家庭教育や社会教育の機会があれば学校のみに固執する必要ないのです。
私の出身中学には班日誌というものがあって、当時別室登校していた私は、みんなと同じことをさせられる学校なんて刑務所も同じだ!と書いたことがありました。
その経験から、高校に進学するとき個性教育を重視し、独自の時間割を組める柴島高校の総合学科を志望しました。
私が選択していたのは筆文字グラフィックデザイン、哲学入門、フランス語、人間関係論、
街づくり、なにわ研究などでした。普通科よりいろんなことが学べましたし現在の私という人間の礎になっています。
ただ、授業と一緒に担当の先生もこちらが選べるのですが、2年生の頃は1年生の頃のよく知った先生が担当だったから大丈夫でしたが、3年のときにとっていたマーケティングの担当の先生と相性が合わず、大学受験のことが重くのしかかったこともあって卒業を待たずに途中で高校を辞めてしまいました。
けれど、その後、桃谷の通信性に残りの単位を取りに行って新たな友人と先生と出会えたので、私はその選択を後悔していません。
政治・経済の担当だった先生は私の中学で昔教鞭をとっていた初老の男性教諭が「そもそも尊敬のないところに教育なんてなりたてへんからな」と言っていたのを受けて「尊敬のためには尊重がいるんでしょう。」とおっしゃっいました。
日本はもっと世界の教育から学ぶべきだと思います。
小学校や中学校を選べないのはそこまで数がないからだそうですが、通う当事者の自発的な意思のはたらかない状態でいってるのに合わない子が出てこないほうがおかしいと私は思います。
自分なりの実りの秋
ところでもう季節は秋ですね。
景色もきれいだし、芸術活動にはピッタリですね。
よく食べて、よく考えて、よく動く。
この3つを楽しみながら実行してぜひとも実りのある秋にしたいものです。