習い事

水泳、体操教室、音楽教室

 天六の水泳・体操教室が最初の習い事だった。幾多のクラス分けがしてあり、私は上級のクラスを志望してテストを受けたら、下級のクラスに放り込まれた。問題は体操教室で柔軟体操があり、体が硬い私は前屈になると全く曲がらない。先生が体重をかけて無理やり前屈させようとするので悲鳴をあげた。以来私は柔軟体操が苦手になった。
 従姉妹の電動オルガンが我が家に来て、「ヤマハの音楽教室」に行くようになった。これはよく練られた教育システムで楽しく行けた。教科書の課題曲を家で練習していき先生が出来によって動物のシールを張っていくというシステムで、アヒルのシールを張る先生は厳しいが相性が合うので「アヒルの先生」と呼んで良く練習していった。当時やっと「エレクトーン」が普及し始めそのモダンな音色に驚いた。教室には生徒一人一人に電動オルガンがあてがわれ、エレクトーンは先生の一台だけである。教室の合同発表会以外は一人ずつエレクトーンはあたらない。発表会で一曲は「ウエストサイド物語」の「トゥナイト」であった。いい曲で惚れ込んだ。もう一曲は私がティンパニーを叩く予定であったが何故か曲が「幌馬車」に変更され、蹄の音を出すために楽器も「ウッドブロック」に変更になった。まったく話が違うが文句も言わず「ポックポック」と演奏した。演奏会が終わって記念にドラムスの模型を頂いた。これは嬉しかった。

書道、算盤

 近所の友達のお母さんが書道教室をやっているのでそこにもいった。腕白盛りの子供たちなので落ち着かない。硯で墨をする事が面倒くさい。しかし墨をしっかりすらないと滲んでしまう。授業時間の半分はすっていたのではないか。お母さん先生も我が子も含めみんなが落ち着かないので大変である。結構真面目に書道はしたように思う。
 算盤教室も小学校2年生くらいから行き始めた。季節になると栗拾いに京都の方まで出かけた。これは楽しくて夢中になった。ウイスキーボンボンが家にあったので食べていったら顔が真っ赤で弱ったことがある。先生は気が付いて知らぬふりをしていたのではないか。一年上にみんなに嫌われているいじめっ子がいた。顔を合わすのも嫌なので算盤学校を友人と一緒にサボるようになった。行き先は新幹線の鳥飼車庫、阪急の正雀車庫、国鉄の吹田操車場である。なかなか進級しないので親が教室に問い合わせたためバレてしまった。それで算盤学校には行かないことになった。

学習塾

 中学校に進級すると思うように成績が上がらないので、友人達と茨木市の学習塾に通うようになった。大学生の先生が補助で教えてこられているので帰りにミスター・ドーナッツに立ち寄るようになった。結構真面目に勉強したおかげで成績も持ち直した。茨木市の学習塾の先生の友人が十三で塾を始めるので行かないかと声をかけられみんなで行くようになった。茨木市も十三も自転車で行っていた。よくやるものだと思う。国語の先生で難しいとおもった。英語の先生も来られた。よく帰りに喫茶店に連れて行ってもらった。参考書は私たちで紀伊国屋に行って決めてきた。楽しい思い出である。

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