ボーイスカウト一泊ハイク(箕面⇒嵐山)
高校になると技量、体力ともについてきて大人のリーダーなしで、野営ができる。われわれはそれっとばかりキャンプや一泊ハイクを実施した。
どちらかと言えば、涼しい夜中に歩いて、山中で暴れる事が出来る夜間ハイクになるのだが、今回は箕面⇒嵐山といった長距離ハイクを私が計画し、8人で出かけた。
夕方、箕面の滝で一休みしていたら、サルの集団がやってきて、Y君のザックを奪って川向うにいる。どうしていいか解らず店の人に相談したら、少し考え、石を投げつけたらと言う。
それを聞いたY君はものすごい勢いで石をサルたちに投げつける。普段物静かな彼の豹変ぶりにみんな驚いた。なんとかザックを取り戻しそれにサルの歯形を見つけて嘆くY君をなだめつつ、滝を出発する。サルのいないところで、制服を脱いで軽装な登山服に着替える。
20時、北摂霊園についてそこで「探偵」とゆう鬼ごっこをやる。墓標の陰に隠れて遊ぶ今思えばバチアタリな遊びである。3時間くらい楽しんで、北摂霊園を後に茨木の竜王山に向かう。登山道とはいえ今回のコースは東海自然歩道で安全である。隠れキリシタンの里から忍頂寺、竜王山山頂。その山頂の小屋で一泊する。シュラフを持って行ったのが私だけで顰蹙を買う。夜中に小屋の横の水たまりに用を足したのがいけなかった。よく朝、O君がその水たまりで洗顔したのである。黙っていてくれたら良いのにS君が私がその水たまりで小用を足したことを言ったのである。おかげで嵐山までO君から当り散らされる羽目になった。
ポンポン山⇒天王山と東海自然歩道の定番コースを歩き、嵯峨野の竹林を通り抜けたら、あるはずの自然歩道が住宅街の造成で消えてなくなっている。ここでO君がキレた。私の計画がいい加減だとブツブツ・・・地図では自然歩道は書いてあるし仕方がないと納得してくれたが、下見はしておくべきである。
フラフラになりつつも嵐山にたどり着いたが、結構楽しいハイクで有った。
ボーイスカウト1泊ハイク 魔の彷徨
何度かのハイキングでなれたゴールデンウィークにそれはやってきた。
わが班からはW次長、Nさん、われら初年組3人である。阪急宝塚線の中山寺で降りて、そのまま中山連峰にむかう。次長が身の重いSくんをこずいてせかす。見ていても不愉快である。なんとか宿営地の神社に到着。そこで簡易シートを張り野営である。困ったことに水源地がない。ポリタンクにある1500CCの水がすべてである。これでご飯を炊いたらお茶にまわす水がない。わたしは機転を利かせて食器を洗った水を再利用することみした。濁ってにおいもするがまだましだろう。翌日、出発してたちどころに、のどの渇きでバテる連中が続出した。しかもコースを間違えたためにまったくどこを歩いているかわからない。S君の唇は渇いて血まみれである。再生水を分けていたら、目ざとくW次長に見つかり持っていかれてしまった。ここからはわれわれは脱落してW次長は先頭で先先にいくのでリーダーですら呼び止められない。隊列は崩壊したのである。能勢から箕面の駅まで、声を掛け合う元気もなく唯々歩く。頼みは再生水のみ。脱水の怖さを初めて知った。
夜も8時になるころ、やっと箕面駅に着いた。そこでのんだコーラの味が忘れられない。
ボーイスカウト小学生時代の思い出
私の時期は、小学校3年生~5年生はカブスカウト(年小隊)となっており、ピクニック・飯盒炊飯・宿泊など初歩的な野外活動とその訓練の経験をします。
小学校6年生からボーイスクトとなり、いよいよ本格的な野外活動訓練にはいります。一見楽しく感じられますが、想像以上に苛烈は訓練でした。上下関係も厳しく、性格の悪い先輩がいてもひたすら我慢するしかありません。格好よく制服を着て敬礼してもシビアな世界なのです。班長クラスは大概しっかりしていますが私たちは班次長が性格が悪く皆とても苦労しました。
さて、初めて二泊三日のキャンプです。みんなウキウキして準備の買い出しとかをしてキャンプ場までバスで参りました。弁当で昼食をとったと、開会式。
6年生3人は下ごしらえ。中1のNさんは我々の指導とその後工程。中2の次長は中3の半町とテントやカマドの準備。
下ごしらえは、燃料となるかわいた薪木を集めてくるのですが適当な槙木ははかはか見当たりません。私は知らずに漆の木をNさんに・・・叱られました。槙木とは別途、食卓や工作物に使用するしっかりした薪も所望されます。またトイレやゴミ捨て場、テントまわりの排水溝、野営地(サイト)の聖地も加わりますので大忙しです。掘ったトイレ穴まわりは用便も姿を隠すためビニールポンチョ(雨具)で覆います。トイレやゴミ
2泊なら1mくらい深く掘り、用を足すたびにうめていきます。
料理までに槙木で食卓を作り上げます。ここでもポンチョが活躍します。槙木が枯れたものしか許されません。適当な槙木はなかなか無くってスズメバチに追われながらの収集です。
河原では、班長、次長が食事の準備をしています。われわれ初年隊員は、あこがれていたキャンプの厳しさに辟易しつつ、夕飯楽しくて仕方がありません。
さて、夕飯です。献立はハンバーグ日が暮れたサイト(野営地)で各自分けてもらっていただきます。そのうち隊長が点検に来ます。自慢のハンーグどうでしょうか?低い声で隊長「おまえら、これ焼けてへん。ハンバーグの中がマカッカやで。」懐中電灯で照らし出されてのは、たしかに半なまのハンバーグでした。慌てて作ったのがいけなかった。夕食の後始末も終えたら、明日のキャンプファイヤーの出し物の練習。寸劇なのだがなかなかしっくりこない。なんとかさまになりそうなのでそこで終え、就寝に入る。
家型テント8人ぎっちり詰め込まれる。居住性もあったものではない。まだ平たいサイト(野営地)だからよいが、傾斜のあるところで建てた時には、朝Yさんがいない。表に出て驚いた。明け方から雨天となりテントから押し出されて転がり出たYさんは溝の上でダムのように排水溝をせき止めているではないか。幸い事なきを得たが下手をすれば肺炎ものである。