南沙織と筒美京平

アイドルに夢中となる。

 小学校高学年ともなると、同級生たちはみなアイドルに夢中になり、私も誰かアイドルのファンになろうとしていた。たまたま秋の歌番組で南沙織を知り気になっていたがメロディーがとても良い。作曲者が「筒美京平」となっていたのでますます彼女の曲にのめりこんだ。ロングヘアに清楚なイメージの南沙織にぞっこんとなった。ラジカセをテレビの前に置いて彼女が出ているならバラエティー番組であっても一言一句抜かさず録音した。新聞の番組表もきちんとチェックし漏らさず録音した。ますます彼女にのめりこんでいった。一方筒美京平は1回テレビに出たきりで裏方に徹して全くテレビに出てこない。一度レコード大賞か何かで一瞬顔を見ただけである。
 小遣いも無いので、ラジオをエアチェックした。それもLLレコーダーだから音質は落ちるが倍録音できる。

LPレコード

 のち隣のお姉さんが中学入学時にLPレコードをプレゼントしてくれた。A面は日本語、B面はポピュラーの曲。彼女は沖縄のインターナショナルスクール出身で英語ができるので発音もしっかりしている。テレビドラマへの出演は本人が音楽優先にしたのであまりない。上智大学に進学し学業に専念したいと言うことで引退。
 その後、写真家の「篠山紀信」と結婚。三児を生む。

筒美京平の作曲

 彼女のアルバムはその後ほとんど手に入れた。筒美京平の作曲は見事で、どうしてこんなに良いメロディーが生まれてくるのか不思議でならなかった。彼は青山学院大学の
卒業で音楽大学ではない。子供の時からピアノを初めて大学時にはジャズに打ち込み大野雄二(ルパンⅢ世の作曲者)とも面識があったらしい。
1968年に発売された「いしだあゆみ」の「ブルーライトヨコハマ」オリコン週間第一位。1971年「尾崎紀世彦」の「また逢う日まで」で日本レコード大賞を、1979年「ジュディ・オング」の「魅せられて」で日本レコード大賞を受賞している。売上高もトップクラスである。
2020年10月7日、彼は誤飲性肺炎のため80歳で亡くなった。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪