サッカー部(高校時代)の思い出

サッカーの魅力

 「飛び出せ、青春」とサッカー部を題材にした青春ドラマにかぶれて、高校に入ればサッカー部に入ろうと決めていた。進学校だった志望校(千里高校)にうまく合格した。サッカー部に入ろうとしたらクラスの前の座席二人、後ろに一人サッカー部に志望するクラスメートがいた。心強いと思って初めて練習に参加した。ところが、山の手の学校でみんな小学校くらいからサッカー部の経験があり技能的に全く差がついてかなわない。まず基礎練習でリフティングができない。リフティングとはボールを地面に落とさず頭や肩、胸、脚で(手はだめ)空中にキープさせるもので、最初20回と言われたが5回もいかないのである。ボールのコントロールには必須なのである。
 ドリブルやシュートなどは大体できた。一対一の個人プレーは圧倒的にボールをキープ出来ない。ランニングもヘトヘトである。サッカーシューズは貰い物で今思えばサイズが合っていなかったと思う。足の裏に3センチもの水ぶくれができた。
 体力作りのため、万博を一周する。これだけは不器用ながらなんとかついていけた。
 ヘトヘトになってグランドをトンボで整地して練習は終わりである。クラスメートの部員とグランドに仰向けになって空を仰ぎ見た。すごく気持ちよかった。
 運動着は中学校のジャージを着ていた。それを見た同じ中学校出身だった一年上の先輩が苦笑して恥ずかしいからやめるよう言われた。
 運動部に入ると友人も増えた。帰宅時は南千里のショッピングセンターでジュースやアイスクリームを先輩に隠れて楽しくいただいた。
 オフサイドを旗で示す線審はうまくなった。

挫折を味わう

 サッカーの実力がまったくつかない。そんな中、学業も底辺並みになった。ボーイスカウト活動やドラムスの練習など欲張ったためである。担任と親子懇談で活動を減らすよう言われた。このままでは留年である。開き直った私は留年でもいいからサッカーを続けたいと言ってやった。押し黙る担任と母。そこから二人の猛攻で結局サッカー部を辞めることになった。
 辞めることを聞いた1年上の部長が慰留してくれた。嬉しかったが仕方ない。顧問の先生に辞めたいと言ったら「あ、そう。ほな、さいなら。」とこちらの悩みも知らずすぐ退部が決まった。

知らぬ間についた実力

 退部が決まってから関西大学第一高校と練習試合があった。私もでていたが、試合中に
2人を相手にボールをキープする事が出来た。知らない間にうまくなっていたのだ。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪