私の仕事歴

学生時代

今は作業所に通所していますが若い時は私も皆さんと同じように仕事をしていました。
短大入学時には観光通訳になりたいという夢を持っていましたが私の英語力ではとても無理だと思いその夢は諦めてしまいました。
就活の時期になって学校の求人票をみてもやってみたい仕事がありません。
わたしたちの時代は一般企業に勤めても3年ぐらい勤めて寿退社するのが花道だと思われていました。
私の中にはOLにはなりたくない気持ちがあり学校推薦の企業は辞めて自分で仕事を探し始めました。
洋服屋さんでアルバイトをしていたので販売の仕事をしようと思ってジーンズ店に就職することにしました。
両親は大反対でした。
学校推薦の企業に行かず販売の仕事をするということで就職祝いももらえませんでした。
ジーンズ店の仕事は面白かったのですがジーンズの裾上げの際ジーンズを切断する作業ができずに仕方なく半年で退職しました。
当初はもう一度英語の勉強をして諦めていた観光通訳を目指そうかなという気持ちもありましたが、せっかく販売の仕事を始めたので何か販売の仕事をしたいと思いました。

美術の仕事

そして次に選んだ仕事は美術工芸品や絵画の販売のしごとでした。
この仕事は本当に私に美しいもの良いものを見る感覚を養ってくれました。
主にヨーロッパの繊細な工芸品に目を奪われ毎日そういった工芸品に囲まれることで美意識も高まりました。
絵画も世界的に有名な作家の版画やまた装飾品としてのヨーロッパ絵画に囲まれて毎日が楽しかったです。
仕事も仕入れも任されるようになり充実していました。
また働いている人たちも色んな経歴の持ち主が多く私も刺激を受けました。
元ぐらふぃくデザイナーの人やタップダンサーを目指している人などがいました。
今も私は美術展に行くのが趣味の一つなのですがこのころの経験が基盤になっているような気がします。
そんな時に当時付き合っていた人を交通事後で亡くすという出来事があり私の中で何か人の役に立てる事をしたいという気持ちがありました。

人の役に立つ仕事とは

そんな時に人形劇団のメンバーの募集の求人を見てこれが何かみんなに夢を与えられるのではないかと思い販売の仕事を辞めて人形劇団に入りました。
小さい劇団でしたので収入も少なくアルバイトしながらの仕事でした。
仕事は人形の制作に幼稚園や保育園での公演がありました。
私は主に司会と裏方をやっていました。
それとは別に自分でも人形劇のサークルを立ち上げ脚本も自分で書き地域の催しなので公演していました。
しかしだんだん劇団の人と意見が合わなくなり最後は喧嘩別れになってしまいました。
そんなことはあったのですがこの時期は本当に貴重な経験にありました。
特に幼稚園や保育園での公演で子供たちが喜んでくれる姿は今のボランティア活動をする基礎を作ってくれたと思っています。
人の役に立ちたいという気持ちが今も強いのはそんな経験からきてるのかもしれません。
今もまた何かの形で人形劇に携われたらなという気持ちがあります。
それ以降は主に企業で事務の仕事をしたり歯科助手の仕事をしていました。
私の良い影響を与えてくれた画廊での仕事と人形劇の仕事の二つは今の私の人間形成に大いに役立っていると感じています。
ただ障害を持つようになってからは皆さんと同じように仕事ができなくなり一時は本当に悩みました。
現在は作業所でお仕事することで張りを取り戻すことができました。
そして人の役に立つという仕事はボランティア活動でかなえることができました。
また機会があったらボランティア活動の話もしたいと思います。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪