魚の飼育

自然の中で

小さい時は夜店や神社のお祭りで金魚すくいをして自宅に持ち帰り、小さなガラス鉢で飼っていた。それでも数が増えてきたので庭にダルマ型の池を掘って飼うことにした。どこかで獲ってきたオタマジャクシなどもいたと思う。家の前にドブ川があり、そこから大きなヒキガエルも引っ越してきた。蛙は庭を掘り返すので母がよく悲鳴をあげていた。片目なので「片目のジョー」と命名した。野良猫にもやられず数年存命していたと思う。
池には金魚、鯉、フナなどが居て結構楽しかった。近所の銭湯が重油で湯を沸かす。雨が降るとそれが池に流れ込み良く魚が全滅した。

熱帯魚

焼き肉を食べに行くとカラフルな海水魚を水槽で展示していた。飼育はとても難しいと聞いていた。そこでカラフルな熱帯魚を買ってみようとゆうことになった。町内で多数の熱帯魚を飼っているお宅が有ったので私は夢中で教わりに行った。そこには残酷なピラニ
駅前の熱帯魚店に母と行って最初に飼いだしたのはグッピーだった。エアーコンプレッサーに浄水槽と水温を調節するサーモスタットなど一そろいを揃えて熱帯魚の飼い方とゆう参考書を見ながらグッピーを飼育しだした。グッピーは胎生のメダカ科の魚でオスはメスを誘うために華やかな色彩の尾びれなどを持っている。最初は交配もできて数も増えたのだが近親交配のせいで後の世代になればなるほど美しいオスが居なくなって飼うのが嫌になってしまった。今思えば水槽を仕切ってやれば良かったと思うがやはり広い自然の中が一番良いのであろう。あとは魚同士の相性が良い他の品種を選び飼ってみた。すると随分華やかになったではないか。気をよくして「エンゼルフィッシュ」も飼ってみた。じきに水草に産卵し卵がかえった。仕切りでエンゼルフィッシュの生活部分だけ分けていたのにある日気が付くと、親のエンゼルフィッシュが子供を食べているではないか。これには参った。

庭の池

小学校3年生ともなると友人と淀川のバクダン池(ワンド)に網を片手に魚を獲りに行くようになった。フナ、鯉、タナゴ、エビが獲物である。持ち帰っては庭の池に放流した。
学校では子どもだけで行くなと言っていたらしいが全く意に介さずみんなで出かけた。
台風が過ぎ去った豊里大橋の河川敷に行ってみたらウネウネと蛇のような生き物が這っている。持ち帰ってみるとウナギだった。上から見るとウナギに見えるが水槽に入れて横から見ればウツボのような狂暴な姿をしている。半年くらい飼っていたがある日サーモスタットを変にいじってしまい水槽内の水が沸騰して成仏してしまった。それから飼育するのを控えるようになった。青い体に赤いラインのネオンテトラを最後に魚を飼育することはなくなった。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪