京都について。

京都の思い出①

私は京都の出身です。
出産は里帰り出産で三重県の松坂市で生まれましたが幼少期を京都で過ごしました。
2歳までは京都の伏見区で過ごしていましたが家は京都独特のウナギの寝床と呼ばれる作りで一階を私たち家族が他の人が曲がりしていました。
その頃の思い出は母が裏庭で洗濯していたのを手伝った事です。
もちろんその頃は今のような洗濯機はなくたらいと洗濯板で洗っていました。
その頃のことはほとんど覚えていないのですが母がお寺の掃除の仕事をしていて私も一緒にお寺で遊んでいたそうです。
3歳の時に現在の向日市に引越ししました。
このころ弟も生まれ家族も増えました。
まだまだ田園風景が多く隣の田んぼでは蓮華が咲くのでよく春先に蓮華で首が去りなどを作って遊びました。
また夏には近くのビルから大文字焼きをみました。
その頃の京都は向日市からも大文字焼きが見えたのです。
市電も走っており本当にのどかな街でした。
その後父の仕事の関係で大阪に引越ししますが大きくなっても京都は特別な関係でした。
母も京都生まれの京都育ちですし三つ子の魂百までと言われるように幼少期を京都で過ごした私は最初はなかなか大阪の街には馴染みませんでした。
もちろん今は大阪は暮らしやすいし人も気さくで場が厚いので大好きですが短大生のころまでは何か悲しい事があると京都に行って癒されてました。
結婚して最初は大阪に住んでいたのですがいろいろ事情があり引っ越すことになりました。
主人の探してきた物件が京都の大山崎のものでした。
こうして再び京都で暮らすことになりました。
大山崎は本当に田舎で昼間は外を歩いている人は殆どいませんでした。
山に囲まれた小さな町であの有名な天王山があります。
またお天気が変わりやすく雨が多い街でした。
この町で二人の子供の子育てをしていました。
買い物は隣の長岡京市ですることが多かったです。
冬は寒く引っ越した最初の冬のクリスマスイブは大雪でした。
私は寒さというよりもホワイトクリスマスだとはしゃいでいましたが
2人目の息子も生まれ本当に家族4人でささやかな幸せに浸っていたのですが経済的な理由もあり市営住宅を申し込むことになりました。
一回目で見事当選したのが伏見区の市営住宅でした。
私は再び幼少期を過ごした伏見の街に帰ることになったのです。

京都の思い出②

団地は伏見桃山上の近くにありとても坂の多い街でした。
また日本酒で有名な伏見の街らしく日本酒を製造している会社がたくさんありました。
後坂本竜馬で有名になった寺田屋もあり観光地としても栄えていました。
子供たちはここで保育園に行ってましたがこの保育園の創立者のことが小説になったりで本当に恵まれた環境で保育を受ける事ができました。
冬は大山崎ほど寒くはなかったのですがやはり雪が降ることが多く保育園のお散歩では雪遊びをしたりしていました。
ここではママ友もでき一緒に滋賀県の雄琴温泉に子連れで旅行にいったりしました。
JR奈良線と京阪電車が走っており京都に出るのにも便利な街でした。
こうして京都での生活を振り返ってみると常に歴史と自然の中でゆっくりした時間の流れを感じながらことの生活を楽しむ事ができました。
これから将来いろいろ事情があって引っ越しをどうしてもしなくてはいけなくなりそうなんです。
一時は娘の住んでる神戸にとも思いましたが神戸はおしゃれな街で遊びに行くにはスゴクいいのですが暮らすにはあまり気が進みません。
やはり暮らすには京都がいいかなと思っています。

心の故郷

私には故郷がありません。
皆さんお盆やお正月には帰省される方もいると思いますが私はその経験が一回もありません。
でも京都は私の心の故郷です。
母が生まれ育った街でもありますし、私も幼少期や結婚後何年間かを暮らした街です。
いつも京都の事は大切な街として心の中にしまっています。
お正月には京都に行く予定にしています。
皆さんがよく行く初詣ではなく美術館に能面展を見に行っておいしい京都のお弁当を買おうと思っています。
お正月も楽しみですね!

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪