生活保護受給者

物価高騰で生活苦

私が生活保護受給をしたのが、娘を妊娠中のときだった。当時お付き合いしている人の間にできた子供。
妊娠が分かったには45歳の冬でした。私自身、20代の頃~30代の頃には結婚や子どもは諦めていました。
なぜなら、19歳で指定難病と併発して甲状腺機能亢進症を発症したらかだった。

当時は、医療の進化も今ほどではなかったので難病も甲状腺機能亢進症も子供に遺伝するとしらされていたからだった。
20代、30代の時でも出会いはあったのですが自分の病気のことを話すと万が一、子どもができたとき遺伝していたら「嫌だから」という理由で、ご縁がないまま40代に突入した。

40歳になったときに私の父の勧めもあって結婚相談所に行き婚活を始めたのです。
何人かとお会いして、この人ならと思う人とご縁があって付き合う事になったのですが、突然連絡が取れなくなったことが1ヶ月ほど続いたのですが、再び連絡が取れるようになってからは月に2度ほど会う仲になっていきました。

それから2年ほどお付き合いしているうちに、お互い結婚を意識し始めて私の妊娠できるタイムリミットが近づいていることもあって、2人で話し合って妊活を始めました。

妊娠から出産

妊活を始めてから1年ほどでめでたく懐妊して喜んでいた私。相手に報告すると反応が返ってこなかったのを今でも覚えています。私が高齢ということ、持病があるということも相手は知っていたはず。なのに相手は無言のまま。
これからどうするのか話し合いもないまま月日が流れ、妊娠4ヶ月に入ったころ私から今後の話し合いをしたい旨をつたえました。

結果、相手は籍を入れることはできないと呟いたのです。そこからの私は、一人で産んで育てようと決意。
相手には、胎児認知・養育費の支払いをするように求め養育費に関しては一筆書いてもらいました。それからの私は子供と暮らす部屋を探し、定期的に通う産科を探しました。

それと同時に生活面も整えないと困るので福祉課へ生活保護の相談に行き、申請から2週間ほどで保護開始となりました。
産科は周産期医療センターがある方がよいといわれ、持病で長年通っている大学病院に紹介されて一段落しました。
出産後は産後手当のようなものが加算されていたので、おむつ代は助かったのですが、子どもが成長するに連れ母子加算は
あるものの保護費全体が段階的に減額されて、生活面ではかなり苦しくなってきました。

産後うつ

子どもを産んでから産後鬱になり、夕方になると毎日泣く日々。
一人親じゃなくても初めて出産したママさんは今や10人に7人は産後うつになるといわれている時代。これも核家族になったからなのか…。

近くに頼れる実家があったとしても現役で働く祖父母もいると聞いたこともあるので安心して育児ができる環境って少ないのでしょうね。本来、話したかったことからは遠ざかってしまいましたが、生活保護は人間が生きていくなかで本当に必要最低限の金額しかなく、小学校になった娘に不憫な思いをさせているなと思いました。

私は親として、たった一人の娘に好きなことをして欲しいし行きたいところにも連れて行ってあげたい。
そんな思いから、社会復帰のほんの一歩を1月から歩出しました。これをきっかけに一つ一つ歩を進めて、今やっていることが
生活の一つに馴染んでいけば、次のスッテップに行けると思います。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪