小学校PTA

次年度の役員決定は1年前から決まる

娘が入学した令和4年度5月にアンケート用紙が届き、令和5年度のPTA役員決めを「7月に開催します。
立候補しますか・しませんか」こんな内容の用紙でした。

当時、小学校1年に入学したばかりの娘は私が付き添い登下校することで通学できていたのです。
なのでPTA役員は早い段階でやった方がいいだろうと私は立候補しました。この後まさか不登校になると思いませんでした。
7月に役員決めはあみだくじでやりました。

私は何と会長に当たりました。
その後の引継ぎは次年度の3月でした。この時役員決めが早いと感じました。学校によって違うのかもしれないです。
令和5年度4月から本格的に役員の仕事が始まって入学式の来賓として、お祝いの言葉を述べました。

緊張もあり、マイクを使っていても声が小さくて何を話したのかあまり覚えていないです。
7月には、次の年の役員決めが始まって令和5年度の役員の流れが掴めないまま、もう次の役を決めるって早いのではないかと
思っていました。

コロナ第5類になり諸々のイベント再開

コロナが第5類になって、今まで中止になっていた行事を復活させようと本部役員のなかでも意見がわかれました。
私はまだ収束したわけではない、感染拡大にならないように小さな夏まつりイベントでいいのでは?と話しましたが
副会長2人が子どもが楽しんでる姿が見たいということで、夏祭りを復活させました。

夏祭りをしない方向でいきたかった本当の理由として、コロナをキッカケに保護者や本部役員の大きな仕事を軽くするという
目的が前年度の会長から引き継いでいました。

夏祭りという大きな行事をコンパクトにすることで、少人数でもやっていける、人がたくさん集まらないを目指していたのですが、今年度の夏祭り再開をキッカケに次年度も開催することになりました。良くも悪くもPTA役員しだいで決まっていくのだと知りました。

後々、副会長2人がなぜ夏祭りを復活させたのかそこには副会長2人のお子さんが小学校を卒業する年だったので思い出作りのためだと知って身勝手だなと思ったのです。

夏以降は活動できなくなる

役員決定時は娘が登校していた頃。1年の3学期から不登校になってしまい2年に進級してからは週に1回の支援級に登校だけになり、私自身PTA役員として月に何度も学校に行って会議があり、最初は子供を連れて行っていたのですが娘はだんだん行くことを拒み、夜に一人家で留守番できる年齢でもないので、夕方の会議以外は他の方に代わって出席していただきました。

そうこうしているうちに、少しずつ副会長2人との距離もできてしまったのと役員6人のグループラインでのやり取りに着いて行けず、このまま続けるのは難しいと考えて教頭や校長にも辞任したい旨を伝えたのですが、受け入れてもらえず
ズルズルと会長という名前だけが残り今年度の本部役員が終わろうとしています。

こう考えると役員決めって1年前に決めるのってどうなんだろうと思うのです。過去はそれでも問題がなかったのだとしても
せめて秋くらいに決めていく方が、他のかたも立候補しやすいのではないでしょうか。

学校によってやり方は様々あるとは思いますがコロナをキッカケにオンライン開催やPTA役員をする保護者の負担を減らすためPTAの廃止をする学校が増えているとも聞きます。共働きの時代にあわせて変更があってもいいと思いました。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪