病状とリハビリについて

水疱性類天疱瘡

 私は3年前に体のあちこちがかゆく会社近くの皮膚科に通っていました。ステロイド系の塗り薬を処方されていたのですが、ある日、先生からステロイドの処方軌間が長すぎるので紹介する病院に行くように言われて病院に行きました。すると体中に出来た水疱をみた主任の先生からはすぐに入院するように言われました。細胞検査のため、若くて綺麗な女医さんがメスで足の裏の真皮を切り取ります。その痛い事!悲鳴を上げてしまいました。翌週、病室のベッドに横たわっていると、その若い女医が来て、「室さん、病名がわかりました。水疱性類天疱瘡という病気です。難病です。」と嬉しそうに報告してくれました。彼女は病名が判明したのが嬉しかったのでしょうが、入院は数か月になるとのこと。目の前が真っ黒になりました。それからはステロイド治療です。ステロイドは免疫が下がり糖尿病、高脂血症、高血圧、骨粗しょう症などの副作用が出てくるとのことで細心の注意を払って投薬治療をしなくてはなりません。「水疱性類天疱瘡」は指定難病でもあり、治療を怠れば三分の一くらいの致死率があります。原因は表皮と真皮の境にある接着因子であるヘミデスモソームの構成タンパクであるBP230やBP180に対する自己抗体(自分自身を攻撃してしまう抗体)できることによって発病する病気です。

入院

 入院して一か月もしたら先輩や音楽仲間たちがお見舞いに来てくれた。階下のレストランに行ったりして快方に向かったように思えた。一時帰宅を許可され自宅で寝ていたその時に高槻市を中心とする地震があり慌てて避難準備をした。朝起きたらそのストレスで水疱性類天疱瘡が悪化して体中に水疱が出てきました。それからがまた入院です
 ナースステーションの前の見舞いスペースで、いつも色鉛筆で絵を描いている年配の患者さんと仲良くなりました。和歌山県の町村役場で経理をされていたそうで、その方の筆算の凄さに驚きました。パーキンソン病で入院されており、そんな技術があるのに進行性麻痺の病気にかかられるとはと、人生の無常さに涙しました。

病院にいる人々

 老婦人がナースステーションに常にいて、ケアを受けている。時間になり病室に戻そうとすると反抗して帰らない。やっと病室に戻しても看護師を呼んでしまう。無視しようとしたら気を引くために読経をフロアいっぱいに聞こえるような大声で唱え始めたのには参りました。ボケてもなかなかの知能犯であります。
 私の病室は四人部屋で、しょっちゅう病人が入れ替わります。最初は隣にゴルフ好きの男性が。毎回ゴルフ場でビールを飲んでいて肝臓を傷めたとのことです。もうゴルフにも行けないそうで可哀そうでした」。後ろ隣りは呼吸器を傷めた青年で、懸命に看護師はケアしていましたが意識は戻りません。家族の見舞いを聴いているうちに泣けてきました。「まだ早い、家族の前に帰ってこい!」そう願っていました。
 入口に最も近いベッドには年配の男性患者がいて、知り合いをこれ以上作っても」面倒だから無理に接触しませんでした。ある日、食べ終わった食器を廊下の配膳台にもっていこうとして目が合いました。ペコリと会釈して通り過ぎようとしたら、ツカツカと歩み寄って来て、私の腕を握り、「逮捕する!」と叫びます。それを見て看護師さん達がその男性患者をなだめベッドに寝かしつけます。しばらくしたら男性患者はベッドごと誰もいない隣の部屋に移動させられていました。
 仲の良い看護師さんと、女性患者が大声で喧嘩をしている。看護師さんが言い負けて泣きながらナースステーションに逃げ帰る。先輩の看護師がやってきて女性患者をなだめながら説得をしている。さすがに持って行き方がうまい。いきり立っていた女性患者も納得してベッドに入り就寝した。
 翌朝なんと彼女と話すことがあり友人になってしまいました。なんでも数学が大好きで天文学者になりたくてアメリカに行って研究所に入ったがむこうのレベルについてゆけず日本に帰って来てからパーキンソン病を発病したらしいです。電話番号も交換し、退院後何回か電話したが今はしていません。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪