祖父の出身地
平清盛が造った音戸の瀬戸を眼鏡橋で渡る。渡ったところが倉橋島でその最南端の部落が鹿老渡である。限界集落化してきており、私たちは祖父の隣に泊めてもらった。丁度季節は盆で、盆踊りが始まった。河内音頭に合わせて踊っていたら地元の中学生に囲まれた。「こいつ、だれや?」すかさず泊まる予定の幼馴染が、「あ、これ。こうちゃんと言ってなうちの親戚みたいなもんや」「あ、そうか」一気に仲間意識に包まれた。わたしはこの幼馴染の事を天才やと思った。翌日は朝ごはんを食べてから、隣の浜辺に海水浴にみんなで出かけた。
素潜り
素潜りで牡蠣の養殖筏までいって水中銃で、小魚やウニを狩っては筏の上でウニをさばいて食べた。ウニの身はやせていたが美味しかった。ただ牡蠣筏の上に上るのに足が牡蠣の貝殻で切れて血だらけになった。筏の持ち主の漁師に見つかればコテンパンに叱られたであろう。もっとも犯人に自分の子供も混じってはいるが。
風待ちの港
江戸時代に北前船の廻船が追い風をはらんで更に潮の流れを利用して航行する構造であったため“風待ちの港”として鹿老渡は朝鮮通信使などにも幅広く利用されていた宿屋もあります。大阪への帰りは隣の一族ご一行と一緒に帰った。広島からフェリーで大阪に向かう。帰りの船内で酔っ払って兄弟同士どうでもよい事が原因で、つかみ合いの喧嘩が始まった。元漁師だから気が荒い。すると次男が一喝して喧嘩は収まった。えらいものである。