保険代理店

協栄生命

 協栄生命の支部長をしいている時に、砂利屋を経営していた父が病死した。私は鬱病になり、閑職になった。それから少しマシになったので、協栄生命の子会社に出向した。社長は1年目の研修生時代にお世話になったKさんや近畿地区の関西総局長代理だったOさんとかそうそうたるメンバーである。最初は協栄生命の職員がマーケットだったが、そのうち社会保険労務士団体での保険を回るようになったがさっぱり取れなかった。
損害保険も2社やっていて、真面目に回っていたのをOさんが気にかけてくれて、また協栄生命の支部長に戻る事を前提に9月に教育主幹になった。

倒産

10月のある日教育を終えて片付けていたら女子職員が「潰れた~。」と泣きながら教室に飛びこんできた。縁談でも潰れたのかと話を聞いたら、なんと協栄生命が潰れたというではないか。
驚いて隣の支社事務室にはいってみたらもう修羅場の様相で顧客からの電話が鳴り響き、事務員は全員その応対でおおわらわである。もう解約はできずお客様はカンカンである。
しばらくすると1階ロビーの女子警備員から泣き声で助けを求める内線がかかってきた。教育家長が降りて来て一緒に対応に行こうとしたら、支社長もエレベーターにのってきたが、考え直してやめにした。
1階に降りてみてガラス戸をみたら、怒号とともにぐるりと囲む顧客たちでいっぱいである。警備員は怯えて泣いている。帰社してきた同期の支部長はなんとか袖をぬかれつつロビーに入ってきた。
ロビーで対応できる状態ではないと判断した我々は顧客と目を合わさぬようエレベーターで支社に戻って状況を報告した。
どうにも身動きができない。夜に対策の打ち合わせをすることになった。各支部長が地価の駐車場からあがってきた。顧客を連れてきた支部長がいてその対応に相当時間がかかった。月曜の朝にロビーに机を並べて対応することになった。
 月曜、ロビーに教育課長と対応に行ったが、顧客が全然来ない。暫くして元営業社員が冷やかしがてら来たくらいで昼からポツポツ顧客が着始めた。皆さま冷静で助かった。
翌日からは各支部に応援に出向き、取引団体、特に学校に支部長と保全にいくことになった。怒号の保全になるかと心配したが、先生方は案外冷静で助かった。
支部によっては事務員が居ないところがあり私の紹介でバートの事務員を常駐させたところもあった。金銭まわりに遅れがあり、内務課長からも指導があるがどうもおかしい。紹介したパート事務員が支部長にいじめられてやめてしまい、何故かと思っていたら、この支部長、保険料を競馬に使い込んでいたのだ。当然懲戒解雇である。

ジブラルタ生命

 やっと落ち着いてきた自分に更生計画でプルデンシャル生命の傘下になることが決まり、会社名は「ジブラルタ生命」となった。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪