砂利屋

小学生時代の思い出

 小学校高学年に進級するとなにやら理屈をつけられて作業所(以降 濵)つれていかれた。
砂利を振るう手伝いをするのである。
 船で川から運ばれてきた砂利を網で振るい石と砂利を(これも商品にする)取り除いて製品として工事現場にダンプで運ぶ。単純にいえばこれだけの工程である。
 船に積まれた砂利は毎日、砂、砂利、粘土、石の混ざり具合が異なっておりこれを平均した案分で現場(左官屋)に供給しなければならない。
 現場ではコンクリートと砂利を混ぜてタイルなどを接合するのである。細かい砂だと接合に強度が出ずクレームが発生する。
 まず、クレーンで船から陸地に上記に気を使いながら上げる。それから一次加工としてホッパーにクレーンで蓄積し石やゴミと砂利を分類する。
 私が最初にやったのは石とゴミの分類である。叔母も手伝いに来ており、一緒にごみの分類をした。動物の骨やカンチョウやら粘土の塊やらでろくなゴミが出てこない。
 叔父のゴミコレクションを見せてもらったが、古銭や機関銃の薬きょうや弾丸など少年をワクワクさせるものがあった。大きな弾丸はB29は日本の戦闘機のものだったろうか。
 日によって粘土の塊は我々を苦しめた。ホッパーの開け閉めでへとへとになる。どうしてもだめなら棒でホッパーから掻きだすのである。
 そこから2次加工の砂と砂利の分離工程はあまりトラブルがない。
 ベルトコンベアの扱いは巻き込まれると危険である。父から重々注意された。叔父も大けがをした。
 慣れてきたらショベルカーでの作業も優しい叔父が教えてくれた。小学生でも朝の忙しい時はショベルカーで手伝っていた。
 大型ダンプの前半分がホッパーに入りきらないのでそこにショベルカーで砂利を積む。
今、思い出せばよくやらせてくれたものである。もっとも人手が無いので仕方がないのであるが。
濵は、河川敷に作業所があるため夏はカンカン照り、冬は吹きさらしの厳しいところ。
注文が多いと大忙しであるので、掘っ立て小屋にある事務所の予約票を見てため息をついた。逆に注文が多いと儲けが少ないので父はため息をついている。
 小型ダンプ(2t車)では渋滞の中、市街で配達しても儲からないのである。ビルの地下駐車場などから注文がはいれば断れない。小さな置き場では4t車では入れない。厳しい経営である。
 運転手とのやり取りも気を遣う。我々の会社はまだましだったが、隣の生コン会社は一時は景気が良かったが、労働組合が出来て赤い旗やのぼりが出来て、経営者たちをおいだしてしまったのである。早朝に配達しないと渋滞に巻き込まれてしまう。寡占化のすすんだ生コン業界では、7時以降では配達に行かない。そんなわがままが押しとおったのである。大きなプラントやショベルカーがうなりをあげてわが社の事務所のまわりを駆け巡り、若社長は赤い流行の自動車で出勤してくる。羨ましいとも思ったが、生コン業界の労働争議は生半可なものではないとおもった。

砂利屋の現在

 今は移転して別の生コン会社と合併しているようだが、運輸組合を父がすごく警戒していた気持ちもよくわかる。一人でも組合員がいたら隣の会社みたいになってしまうらしい。
 中学校、高校と休みの日に濵で手伝いをよくした。朝は広島から下宿しているTさんの会社が近いのでよく会社まで送ってもらった。なんせ朝のはやくから濵に行かねばならぬ。これには閉口した。道中は話が弾み楽しかった。
 砂利屋なら当然力仕事である。しかし、ショベルカーやクレーンのおかげで人力にたよる仕事はへった。プラントのまわりで平スコップの仕事があるくらいである。といっても結構疲れるまでハードな仕事であった。
女子事務員さんは一人いてベテランで配車から経理までよくやっていた。几帳面な父によく叱られていたが、とても私を可愛がってくれた。昼休みになると、濵から天六までよく食事に行ったものである。「十八番」という定食屋が主な行先で、安いのと量が多いのが売りである。鷹の爪で辛口な定食が美味しかった。
 濵は河川敷にあり隣には不法占拠らしい解体屋や鉄工所が軒を並べていた。わが社は自治体(河川事務所)から相当な広さの土地を正式に借りており、唯一の競争力になっていた。品質の良い時期の砂利を陸地にあげて、品質が悪い時期の仕入れを止めてしまうことができたのである。おかげで砂利船からは嫌われていたらしい。
砂利船は河川の砂利を好き勝手に採取できるのではなく、建築省の河川事務所から指示された所からしか採取できない。あくまで治水のためであり、品質は二の次である。砂が溜まりすぎている場所からしか取れないので、粘土だらけのひどい品質であれば、いったん陸地に上げて、品質の良い砂利と混ぜて販売するのである。
 粘土だらけの砂の日は、ホッパーに付きっきりで開閉しなくてはならない。クレーンを動かしている叔父が恨めしくなる。仕方がないがダンプの入る最終段階のホッパーが満杯になるのをがまんするしかない。でもそんな日に限って大型ダンプ(12t)が数台連続で砂を運んで行ってしまう。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪