『松坂世代の一つ下世代』の野球選手の活躍

実は不作と言われていた『松坂世代一つ下世代』

ドラフト時には黄金世代と呼ばれた松坂世代、1980年生まれの野球選手達は、確かにいい選手が多かったです。

名前になった松坂大輔や藤川球児など、輝かしい成績を上げた選手がいっぱいいますが、実は名球会、投手なら200勝、セーブ数なら250セーブポイント、打者なら2000本安打を打った選手が入れる、野球界のレジェンドに満たした選手は、実は松坂世代からは一人も出ていません。(藤川があと7セーブ足りなかったのが残念です)

しかし、その松坂世代の一つ下、1981年生まれの選手からは二人、青木と鳥谷が2000本安打を打って、名球会入りの条件を果たしています。
この『松坂世代の一つ下世代』は、ドラフトの時、松坂世代と比べられて不作の年だと言われていました。
だが時が流れて松坂も引退となった2021年から、過去のドラフトを見ると、明らかに『松坂世代の一つ下世代』の方が活躍している選手が多いのです。

実は書き込みをしている僕と同い年になる、今年40歳を迎える、そんな『松坂世代の一つ下世代』を紹介していきたいと思います。

『松坂世代の一つ下世代』の名選手たち

まず『松坂世代の一つ下世代』でよい選手の筆頭になるのは、ヤクルトでまだ現役で頑張っている青木外野手でしょう。

大学生の時、ヤクルトにドラフト4位とあまり評価は高くなかった順位で入団したのですが、ヒットメーカーとして大活躍をしたのち、メジャーリーグにも挑戦をして、日本へ帰って来てからも活躍を続けているという、名球会入りの条件を果たしていることもあり、レジェンドと呼んでいい選手でしょう。

次に『松坂世代の一つ下世代』で取り上げたいのが、岩隈投手です。

高校生の時、近鉄にドラフト下位で入団し(今や懐かしい近鉄の響き)エースとして活躍をしたのち、青木選手と同じくメジャーリーグにも挑戦し、通算で170勝以上上げた、楽天の創設時にエースとしても投げていたこともあり、記録と記憶に残る選手なのではないでしょうか。

更に同年代のいい選手として上げたいのが、糸井外野手です。

大学時ドラフト一位で日本ハムに投手として入団したのですが、身体能力の高さから野手へと転向。
それが実を結び、好走守すべてそろった選手として、トレードでオリックス、FAで阪神へと渡り歩きながらも、どこでもよい成績を上げ、まだ現役で頑張っています。

そして僕が、同い年として熱を上げて一番取り上げたい選手が、鳥谷内野手です!

『松坂世代の一つ下世代』のスター選手だった鳥谷敬

鳥谷は不作と言われた『松坂世代の一つ下世代』ドラフトの中でも、東京六大学野球の早稲田の名ショートとして、ドラフトの目玉でした。

この当時はまだ逆指名に近い希望枠ドラフトというのがあり、高校生以外なら、今とは逆に好きな球団に指名をして入団できるという制度があり、阪神ファンの僕としては『どうせスター選手だから、巨人を選ぶんだろう~』と斜に構えて見ていたのですが、フタを開けてみるとなんと阪神を逆指名してくれて入団し、この時はめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも熱を帯びて覚えています。

この高評価は伊達じゃなく、一年目からショートのレギュラーを取って、2年目に優勝に貢献。
その後も名遊撃手として阪神の屋台骨を支えてくれて、2年前にロッテに移籍をして、今年惜しまれつつ引退をしました。

鳥谷選手のすごいところは、ケガをしても出場し続ける気力の強さではないでしょうか。
連続試合出場記録は、鉄人、金本さんに次いで歴代第2位。
デッドボールで鼻を骨折しても、フェイスガードをつけて次の日の試合に平然と出続けていた姿は、忘れられません。

このように鳥谷みたく入団前から高評価だった選手を入れても、不作ドラフトと呼ばれた中から、松坂世代を超えるこれだけの名選手が生まれたわけですから、前評判なんか気にせず、むしろ発奮材料として“不作”のレッテルを貼られても見返してやるぐらいの気持ちで臨むことの大切さを『松坂世代の一つ下世代』選手たちから勉強をした気分です。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪