猫が好きな理由

私という人間

猫が好きです。

町を歩いていて野良猫を見れば無意識に後を追ってしまうし(もちろん、すぐに逃げてしまうけど)、寝る前などはYouTubeなどの動画サイトで猫の動画を見ながら眠りにつく日もよくある。

しかし不思議なもので僕は数年前まで猫はおろか、動物にすら全く興味がなかったのである。
もともと僕の家族が動物嫌いなことも関係していたのかもしれない。ではなぜそんな僕が猫を大好きになったのだろうか。

猫との出会い

少々重たい話になるが、僕は以前、一年半だけ京都で一人暮らしをしながらサラリーマンをしていた。

だけど僕は仕事が遅く、ミスも多かった。先輩・上司に迷惑をかけることもしばしば、会社に馴染めず、僕は役立たずのレッテルを貼られ、社内に居づらい雰囲気がずっと続いた。

結局僕は心を病んで一年程度で会社を辞めてしまった。その後半年間、毎日酒と煙草に溺れる日々。

首吊り自殺未遂もした。実家の家族からどんな暖かい言葉やポジティブな言葉を投げかけてもらっても全く心に響かず。

そこで出会ったのがYouTubeのとある配信者さんの猫の動画。飼っている猫の動画だった。猫が庭でくつろいでいるのをただ撮ったもの。

やけに丸々したふてぶてしい表情の猫だな。少しのそのそと歩いてはごろんと仰向けになって日向ぼっこ。
表情から仕草まで休日のおっさんじゃないか。

(あれ?) 気づけば動画を見終わっていて何度も繰り返しその動画を見ていた。
関連動画の他の猫の動画もいくつか見ていた。

なんだかその動画を見ている間は暗い気持ちや死にたいと思う気持ちも忘れていた。なにより、その猫のマイペースさや人間臭さ、どんくささや天然さに笑けてきてしまい、自分はさっきまで何をそんなに深刻に考えていたんだと馬鹿馬鹿しくなって久々に一人スマホの画面を見ながらニヤニヤしていた。(気持ち悪いですね) 無意識に僕は猫に救われていたのである。

その日以来、僕は猫の虜になっていった。午前・午後、気持ちが落ち込むことがあっても夜ビールを飲みながら猫の動画を見るのが何よりの楽しみになっていた。

仔猫は仔猫でかわいいし、成猫は成猫でいろんなタイプの猫がいて、寡黙なタイプから少しアホっぽい子まで性格が様々でかわいい。「ねこ」っていう言葉の、気の抜けるような響きもかわいくて癒される。

なによりも、何もしなくてもそこに寝転がっているだけで猫はかわいいし、たまにご飯をねだって飼い主のところへのそのそやってくるそのマイペースさもたまらない。

この猫の「マイペースさ」というところが僕が猫好きになった最大の理由なのかもしれない。僕は子供のころからのんびり屋で、あまり他人に干渉されたくない性格をしている。家族から過剰に心配されたり、頑張って勇気付けられたりしてもあまり心に響かなかったのはこの性格のためだと思う。(もちろん家族には心から感謝はしているが)

猫を見ているとまるで自分そのものを見ているような気持ちになる。猫は自分の性格に似ている。何かに夢中になったとすれば急に無関心になる。やる気のない日はとことんゴロゴロしていたい。

やる気のある日はとことん熱中していたい。犬も勿論、とてもかわいいけれど忠誠心が強くて飼い主のそばにすぐ近寄ってくるのは少し苦手。これも僕の「他人にあまり干渉されたくない」性格とそっくりだ。

今の悩み

それからというもの、僕は時たま一人でいろんな猫カフェに足を運んでいる。野郎が一人で猫カフェに行くのか、という恥ずかしさを乗り越えるだけで「合法的に」猫と触れ合えるのだ。こんな幸せなことはない。

僕は今年の五月に祖父を亡くした。僕は祖父母と一緒に暮らす家で育ったのでいわゆるお爺ちゃん子、お婆ちゃん子だ。祖父とは正直父よりも長い時間を一緒に過ごしてきたかもしれない。

そんな生まれた時から今までいつもそばにいて当たり前だった存在の突然の死。僕は頭が真っ白になって心に大きな穴が開いた。四十九日も過ぎ、もうすぐ祖父の新盆もやってくる。

さすがに少しは落ち着いてきたが、やはり時には祖父を思い出して酒に飲まれて泣いてしまう。

そこで家族から提案されたのが、猫を飼わないかという話だった。

もちろん嬉しかったが、僕はなかなかその勇気が出なかった。

今はコロナ禍で家で過ごす人が増えたため、寂しさを紛らわすためにペットを飼い始める人が増えてきているようだ。ただ、ペットといえど、一つの大切な命だ。

我々は一つの命を守る、育てていくという重大な責任と覚悟、決意が必要だ。果たして僕にそんなことが背負えるだろうか。自信がない。生半可な気持ちで軽々しくペットを飼うのはかわいそうだ。それが今の僕の悩みなのである。(多分これからもずっと悩み続けるんだろうな…..)

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪