インド旅行(アグラー編)

インド旅行

市中の移動は、タクシー、バス、オートリクシャー、自転車リクシャーが主なものである。自転車リクシャーの車夫の月収は日本ではビール1本くらいで驚くほど安い。人のよさそうな人力リクシャーに乗り込む。先にボラれないよう運賃交渉をする。交差点で信号が変わってしまい立往生していたら警官が駆けてきて杖で車夫をたたいて急かす。気の毒になって降りようとすると車夫がそれを止める。我々を降ろすと運賃がもらえなくなる事を心配したのだろう。
象に化身したガネーシャ石像や、楽器など相当なお土産を苦心して買い上げ日本に船便で送る。箱詰めでなく白い布でないといけない。それも買い上げるが、縫い合わせて梱包する職人に任せる。一事が万事これである。面倒で仕方がない。聞いた話だがクーラーを取り付けようとすれば。①取り外し②電気工事③クーラーの運搬④クーラーの取り付け部の工事⑤クーターの取り付け⑥クーラーの運転これらを別々の業者が行うのである。非効率なこと甚だしい。日本に郵送でも①布を買い②縫い合わせ③蝋で捺印④郵便局で配送依頼これだけの大回りをしないといけない。あとはサリーをお土産にしたと思い適当に道行く人にたずねた。土産屋とグルなのは覚悟の上である。連れていかれたサリー屋でしさだ絵をしていたらパイロットと称する紳士がやってきて、ネパールにいきならサリーでビジネスをしないかと言い寄ってきた。しきりに酒をすすんめてくる。確か禁酒日があったかも・・と心配したがうまく飲まされる。われわれ3人にこのサリーは化繊で偽物、こちらはシルクとか火をつけながら勧めてくる。よくわからないまま強気になっら我々は勧められたサリーネパールのカトマンズの某店で売れば高く売れるといわれ、買ってしまった。
後日談だが、当然のごとく、このビジネスは詐欺で、某店のご主人に大笑いされたことは悔しい思い出である。日本に持ち帰りカーテンとして使っていたのを思い出す。
 インドの街中は、混雑と喧騒でストレスになる。私のように我慢する人ならよいが、そうでないと二度とインドには行きたくならないであろう。しかしよくこんなところから仏教が生まれたものである。もう仏教はインドでは廃れて、最下層(不可触民)の人々に信者がいる。人口の八割はヒンドゥー教、仏教徒は0.7%である。
残念ながら我々はほとんどお釈迦様の聖地には、バラナシを除いて行っていない。
なぜ仏教が衰退したのかを説明するのはとてもむつかしい。
異民族(白フン族)やイスラム教の流入である。広大なインドは混とんとした社会でありそれでも古来バラモン教からのカースト制度は脈々と続いている。理解しがたい国である。

アーグラ

我々は次なる目標アーグラを鉄道で目指しデリー駅に立った。列車は奮発して特急「タージ・マハール」号の1等寝台車。さて、デッキから乗ろうとすると前に偉そうな男が立ちはだかり、乗るなと言う。よく聞くとどうやら我々は日本人だから仏教徒だろう。卑しい不可触民だから一等車には乗ってはならないと言っているらしい。指定券を見せても話にならない。強引に乗り込み我々の座席に座っていると召使と2人でずっとにらんでいた.
男はたぶんバラモン階層だったのだろう。幸い次の駅でか彼らは降りたが、カースト制度の根深さを知ることができた。
次の駅で駅弁を買い求めて車両に戻ってきたら、軍隊が乗り込んでおり我々の座席には相撲取りのような体格の兵士がどっかり占拠している。怖いので隊長らしき陣鬱にチケットとみせてその兵隊達をどかせて貰った。 
景色はのんびりしたものである。土手にご婦人たちがこちらをむいてしゃがんでいる。逆光だがよく見たら股の下にこんもりしたものがある。そう、彼女たちは土手に並んで大便を足してしたのだ。これには驚いた。
紳士が乗り込んできた。我々に話しかけてくる。どうやらアーグラで宿屋を営んでいるらしい。仲良くなって彼の誘いに乗り、彼の運転するオートリクシャーで彼の宿に向かうことになった。ところが、宿屋には直行しないで、大理石工房や土産屋ばかり立ち寄ってばかりである。イライラして、急かしたら今度はオートリクシャーが故障したのでと言ってまだ土産物屋に立ち寄って修理らしきことを始める。根負けして安い土産(大理石のコースター)を買い求めたら納得して宿に連れて行ってくれた。
宿はそこそこ綺麗であった。従業は小学校高学年くらいの子供がいるだけである。子供の身の内話を聞けば、両親は遥か離れた(カルカッタより遠い)ところにいて彼は両親と離れてここで働いているらしい。

タージ・マハール

翌日、タージ・マハールを見に行く。これは感動した。大理石でできた大きな霊廟なのだが、中にいると外からの太陽光線が真っ暗な建物で強調されて幻想的な気分になる。
近くにはいつかお城や有名な建物があったようだが行かなかったので忘れてしまった。
さて、帰りの道中は宿屋の亭主に頼むと前日のようになるので我々だけで帰ることにしたが、道側から解らず迷子になってしまった。日が暮れて、不安になっていたら、カーニバルのパレードがやってきた。物悲しい旋律にますます不安になっていたら偶然宿屋の少年に出会った。少年に連れられて宿屋に戻れた。見れば少年が足を怪我しているではないか。すこし痛いだろうヨードチンキで応急処置をしてあげる。破傷風が心配だが。
翌朝、亭主と雑談を楽しむ。今まで宿泊した顧客の写真つき名簿を我々に見せながら、この女の子可愛いだろ?俺、このこと関係を持ったんだ。とかた下種な話に我々も引き込まれる。(やはり男はこんな話に弱い。)
インド旅行で一番仲良くなったのは彼である。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪