近所の歴史について2 鯨橋

瑞光寺

 私の家から西へ400mいったところに臨済宗のお寺で瑞光寺がある。聖徳太子が創建したと伝えられている。一度消失したが1643年に天然和尚が寺院名を1643年に指月寺と名付けて復興した。その後、1729年に天然の後を継いだ北禅和尚が、山号を天然山、寺院名を瑞光寺と改めた。1945年の大空襲により焼失。1984年の再建を経て現在に至る。

鯨橋

 境内に至るまでに池にかかる鯨橋「くじらばし」がある。(雪鯨橋)なにわの名橋50選。日本百名橋のの番外にも選定されている。
 1756年に瑞光寺4代目住職が南紀太地浦(現在の和歌山県太地町)に行脚した。太地の村民は捕鯨で生計を立てていたが折からの不良のために食べるものにも困っていた。村の代表者が住職に豊漁祈願を依頼したものの、住職は「殺生は仏教の教えに背く」として一度は断った。しかし村人の困っている様子を見て豊漁祈願に応じることとなった。
 住職が祈願をはじまたところ豊漁となり村の危機は解決した。後日、村人は瑞光寺を訪問し、お礼として黄金30両とクジラの骨18本を寄進した。住職がクジラの供養のために、クジラの骨を使って橋を造ったことが、雪鯨橋の始まりとなった。

供養

 日本には供養という習慣がある。シーシェパードのような暴力的な反捕鯨団体の連中もこういった日本の文化が有ることを解ってもらいたい。一筋縄ではいかないが。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪