アメリカ音楽旅行

ディキシーランド・ジャズ・バンド

 大学時代は軽音楽部でディキシーランド・ジャズ・バンドでドラムを演奏していた。古臭くて素朴なジャズだから、皆お洒落なモダンジャズにひかれてバンドの先輩達が卒業してしまうと、同期のトランペッターのU君と私の二人だけになってしまった。当時同様のディキシーランドジャズのバンドがあるのは京都外国語大学だけだった、京都外大もトランペッターが居ないので、U君が応援に行ったりしていた。そのうち、紳士淑女の社会人クラブODJC(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・クラブ)のご支援を頂き、アメリカのディキシーランドファンのお宅にホームステイとか、プレイヤーと合同で演奏させて貰ったりする。
 まずはロサンゼルスのFさんのお宅でホームステイである。街中をFさんの自動車で案内してもらい、ハンバーガー屋さんに入る。「ウーパー」と名づけられた巨大なハンバーガーを食べる。大きすぎて皆食べるのに四苦八苦している。Fさんのお家について談笑していたら、すぐ夕食である。これも結構な量である。お腹が一杯になったところで、デザートでジェリーを挟んだビスケットが出てきた。なんとか食べきると、「コークorペプシ?」と聞かれる。こんな食生活をしていたら成人病まっしぐらである。Fさんや米国人の体格をみていたら、さもありなんと思えてくる。

ノルウエー人たちの送別パーティ

 後日遠洋漁業に出かけるノルウエー人たちの送別パーティに出演する。演奏前に食事としてビーフステーキをいただく。大きなビーフステーキの上にたっぷりバターを乗せて我々に振舞われる。ソースや塩コショウの味付けは無い。だから、味付けは頼りないし量も多すぎて食べきるのに苦労した。演奏は破綻することなく無難に出来た。
 後日ディズニーランドに行く。道を歩いているとすれ違いざま、「ジャップ!」と罵られた。当時日米貿易摩擦で反日の米国人は多く、一人歩きは危険だと思った。
 ディズニーランドは楽しかった。2頭の犬の着ぐるみが、ピアノを連弾している。感心して見とれている我々に気が付き、「イッツ イージー ウエイ(易しい弾き方だよ)」と言って、一本指でピアノを連弾を始め、その上手さに感心した。
 池を手漕ぎボートで進むコーナーでは、後ろからスペイン語をしゃべるグループが追いあげてくる。我々は「エンヤコーラー~」と息を合わして漕ぎだしスピードアップする。それを見たスペイン語グループも「エンヤコーラ~」と調子よく漕ぎ出す。漕ぎ終わり上陸した我々は仲良く握手をした。

ニューオリンズ

 ロサンゼルスからはダラスを中継してニューオリンズに向かう。機内ではキャビン・アテンダントが飲み物の注文を聞きに来る。「コーヒーorコーク?」と言うので「コーク・プリズ」と答えるとコーヒーが出て来て失笑した。窓から下を見たら広大な荒野が広がっており、道が一本走っているのが見えた。本当に何にもない荒野である。人々はどんな生活をしているのだろうか。
 ダラスで乗り換えていよいよジャズの発祥の地「ニューオリンズ」である。ここでは、歓楽街「フレンチクオーター」のホテルに泊まる。年季の入ったホテルの部屋に荷物を置いて、ニューオリンズのジャズクラブの会長さんに挨拶をしにトラム・カー(チンチン電車)で向かう。保険会社の役員室に緊張しながら向かう。高層ビルの一室での彼女はいかにも厳しいビジネスウーマンといった表情である。行くべき場所や、現役の老プレーヤの自宅を教えてくれた。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪