家族と自分とは

家族について

 昨日は母の米寿の誕生日であった。ケーキを敬遠するので、家内が近くの和菓子屋で饅頭を買って来て娘と家内らと4人で誕生日のお祝いをした。さすがに老け込んではきたが息子の私に対しては厳しい説教をされた。携帯電話の操作が解らず私に聞くのだが、取り扱い説明書をどこかにしまっているので私にも使いかたが解らない。
 一家で出歩けないのは私だけである。携帯電話の店まで行ければよいのだがそれも無理である。母が同じ事につまずいているので携帯電話の操作を友人に教えてもらうよう頼もうかと思う。ところが母は案外外出しがちで捕まらない。困ったものである。
 顔を見れば同じ事で私に説教する。それを家内や娘が聞いて、それをネタに私に小言を言ってくる。さらには友人達がその小言をネタに私に説教する連鎖反応が起こる。
 家族にバレていない後ろめたいことも随分やっているので、逆ギレするわけにもいかずグッと我慢するしかない。悔しくて寝れないこともあるが自分が蒔いた種である。
 母は淡路島の料理旅館の長女であった。それで茶道や華道をたしなんできたので家内や娘相手にお茶をふるまう。私も臨席するが目的はお茶菓子である。この時だけは煙たい小言はない。
 二世帯住宅になっていているので今のところ衣食住は一階に住む母と二階に住む我々とは全く別である。階段を下りれば母に会える。家事一切は家内に任せている。なまじ炊事などをしたら食材の無駄使いだと怒られた。だから家内と娘が働きに出れば一階に母、二階に私だけになる。
 たまに一階に行き母の昔話を聞く。女学校時代からの友人との付き合いがいまだにあって私も子供の時からよく遊びに行った。結構面白い話が聞ける。しかしこの年まで付き合っているのも凄いと思う。私も子供の自分の記憶が結構あるので盛り上がる。

夫婦について

 家内と私は見合い結婚である。保険会社にいた時に外交員のおばさんのい娘の友人という事で紹介してもらった。最初のデートは今はもうないがポートピアランド(神戸)であった。ジェットコースターが好きだと聞いた私は調子に乗って違う種類の絶叫マシンに三連発で乗った。三つ目の絶叫マシンに乗った後、フラフラになってトイレで吐いた。家内に聞くと、私の顔色が真っ青になって来て気分でも悪いのかなぁと思っていたらしい。
 どうにかこうにか結婚に至ったがそれ以来絶叫マシンには乗らないようにしている。
 仕事は結構深夜まで続くことが多く、ある日帰宅していると家内が心配と寂しさで泣いていた。さすがに気の毒で一報入れることにした。
 岸和田にいたころ、朝に近所の魚屋で「シャコ」を一ざる買って帰った。シャコを見るなり奇声を発してベランダに逃げ込んだ。脚がたくさんある生き物は苦手なんだとこのときわかった。以降、「カニ」「タコ」などは私が脚を落としてから、家内に調理を頼むようにしている。

子どもについて

 長女は小学校高学年になってイジメに会うようになった。担任は校長が注意してもそれを放置するので民生委員や校長先生から相談を受けるようになった。教育委員会や町内会でも私が矢面になり最終的にはその担任を自己都合で更迭する事が出来た。しかしこの時の心の傷はだんだん癒されてきたとはいえ、いまだに残っており、私は娘にきつくしかる事が出来ないでいる。
 私は家族から説教される立場が多いので、原因は解っているので極力努力して、減らしたいと思う。何か思いついたら後先を考えずすぐに行動してしまう「躁」を押さえる事で家族のストレスはずっと減ると思う。
 姫路に弟がいる。彼はよく私を理解してくれていて、大阪に来たら母の面倒もよく見てくれる。母も弟の言う事ならよく聞き分けるので助かる。
 今のところ家族に何かしてあげたいが、家族は大人しく「躁」にならず私が言われたことをこなしてもらいたいようだ。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪