就労移行支援事業所体験記

大阪府郊外にあるL

偶然ポストにパンフレットが入っていたのが目に入って電話で問い合わせ、見学に行ってみた。事務所はまだできて2年目。机、椅子、床も新しく新鮮な感じだ。
面接ルームがあり、そこで面接。
30代所長男性、20代サービス管理責任者・介護福祉士女性が面接に応じた。
後でわかったことだが所長は司法書士の資格ももっているとのこと。
まずは体験利用。
近くの就労移行支援事業所を比較検討して、ここにお世話になることを決めた。
地元の支援センターの相談員に連絡し、市役所に提出する受給者証申請ため相談した。
その結果、無事就労移行支援事業所に通う手続きが完了した。
1年間通った。週3回~4回、10:00~15:00 土曜日・祝日営業、日曜日休業
ここは、アットホームな雰囲気の事業所だった。
昼食代は無料。交通費は半額支給。
利用者の年齢層は20代から50代まで、男女比は7対3。
利用者同士の連絡先交換ダメ。
パソコンにちからをいれており、
P検というパソコン資格を推奨していた。1級から4級まであり、タイピングとパソコン知識を問う問題が出された。私もP検4級を取得した。
臨時職員がWord・Excelの基礎、応用を水曜日に教えていた。
レクレーションも定期的にあった。たこ焼きパーティーやバラ園見学など。
毎月1回ヨガインストラクターによるヨガ教室も行われた。
その他、毎月臨床心理士による面談も行われた。
みんなでウオーキングをし、ハローワークにも定期的に行った。
他の利用者では色彩検定の資格を取得したかたもいた。アパレル関係に就職を目指していたようだ。
1年間通った就労移行支援事業所だったがさらにステップアップするため大阪市内にある

Wという就労移行支援事業所に移ることにした

実は簿記検定の資格がとりたかったからなのだが、面接の女性のサービス管理責任者に「資格を取得する目的ではうちには入れません、あくまで就職がゴールです。」という強烈なカウンターを喰らってしまった。

無事、手続きを済ませこの就労移行支援事業所に移ることができた。
週4回 10:00~15:00 祝日・日曜休業
昼食代無料、交通費全額支給(これは大きい)
しかも、利用体験時にも交通費支給された。
昼食に手作りのみそ汁がついた。
利用者の年齢層は20代から50代、男女比は7対3。
利用者同士の連絡先交換ダメ。
朝の朝礼、ラジオ体操。日誌に朝礼内容記入。学習開始。昼休み1時間。帰りに本日の学習内容を日誌に記入。
ここに来てまず思ったことは、利用者の意識が高い。さすが大阪の中心部に事務所を構えているだけある。
本棚には、簿記検定、パソコンに関する参考書・問題集がずらりと並べてある。
スタッフも充実しており、パソコンに精通している方や、簿記の資格を持っている方がいた。
また、簿記に関しては、毎月1回税理士の先生の出張講義があるなど充実していた。
そのかいあって2回目で、日商簿記検定3級に合格することができた。仲間と競い合って取得できた点もある。
その後2級もめざしたが、さすがに難しかった。しかし、ここに来る利用者の中には、2級も合格する強者が何人もいるのである。本当に障がい者か?
パソコンにもちからを入れており、MOS Excel Wordを奨励していた。私もExcelに挑もうとしたが、試験を受ける前に就労移行支援の期間が終わったので、結局そのままだ。
利用者の中にはビルメンテナンスの資格を取るかたもいた。英語の勉強をする方もいた。要するになんでもいいのである。
ハローワークも近かったので定期的に障がい者枠での求人を探した。
就職活動にもちからをいれており、就職アドバイザーが専任で配置されていた。
1年が過ぎ、トータルで就労移行支援が2年となった。
簿記検定やパソコンが中途半端なのとコロナの関係で在宅勉強となった期間があり、市役所に延長を申し入れた。協議の結果3か月の延長が認められた。
その間、就職活動を行った。
活動を行うにあたり、書類作成を行った。具体的には、履歴書・職務経歴書・私の障害について・障害者手帳のコピーの4点セット。これを就職アドバイザーに指南してもらった。
特例子会社、障がい者雇用の事務を中心に活動したが、どこも採用がなかった。
A型事業所も考えたが、体力的に無理だと思い、諦めた。
それで、今のB型事業所にお世話になっております。
市役所は3か月延長の協議をしたにもかかわらず、障がい者雇用、A型事業所でもなく、B型事業所に就労とは何事かと嫌みを言われたが、最終的には納得してもらった。

終わりに

最後は自分が納得できる形で就労に結びつけることができたので、これはこれでよかったと思っている。無理して障がい者雇用で就職して、病気が再発したら、何のための就職活動かわからないからである。その点は主治医の先生はじめ、訪問看護の方とも十分話合った。そもそも、母を含め、兄弟は就職そのものに懐疑的だった。なぜなら病気になった原因が働き過ぎによるものだからである。いまでは、安定してこのB型事業所に通って1年になる。
最初からB型事業所に通っていたら、と思うこともあるが、社会資源を全て使い切って参加と思えば納得できる選択であった。

written by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪