私、アルコール依存症なんだそうです 其の3~その時はやって来た

又も失業~大阪へ戻って~

 1年程過ぎて環境にも慣れ、生活にも張りが出て来た。

しかし悪い事はいつも突然やって来る。
ある日の勤務中に材料を担いで歩いていたら、フッと目の前が薄いピンク色になって突然意識を失った。

どうやらそのまま倒れたらしく、救急搬送されて初めて自分が高血圧症やその他、色々な疾病を抱えていることが判明した。その時はその場(救急病院)で点滴を打ったり造影剤を打って血管の状態を確認したりして夜中までかかって診療して頂き、明け方には家に帰された。

たまたま所属していた派遣会社の社員が朝早くに病院まで迎えに来て下さったので、無事に会社の寮に帰る事が出来た。

その時担当さんが「今日はゆっくり休んで下さい。後で私が結果を聞きに病院まで行ってきますから。」と言い残して帰っていった。

私はその時何も考えずに、ただ「助かった。」という安心感の下眠りに就いた。それからどれだけ寝たかわからないくらいぐっすり寝込んでいた。部屋の呼び鈴が鳴って目が覚めた。その時初めて時計を見た。もう翌日の朝9時だった。

玄関の鍵を開け、担当者が部屋に入って来て病院での検査結果の書かれた紙を私に差し出した。色々な数字が並んでいたが、その中で恐らく重要であろう所に赤のボールペンで線が引いてあった。良く見ると血圧の所にいわゆる上が248,下が220と書いてあった。

それから下の方に医師の所見らしきものが書いてあった。

・冠静脈閉そく症
・高血圧症
・小脳梗塞
・多発性肝嚢胞

その時私の頭の中をよぎったのは派遣会社に入った時の就労条件である。製造工場の派遣会社に就職する時に殆どの会社の就労条件に謳われているのが「血圧についての条件」がある。

殆どの派遣会社では当時、上が145を超える人は採用出来ないとあった。

当然私が就職した派遣会社でも同じことが謳ってあった。

「これはやばいなぁ」と思いながら私は社員の顔をた。案の定、社員の口から発せられた言葉は「これではうちの会社で雇用し続ける事は出来ません。理由はもう、お判りでしょう。」と一言告げた。

「はい。」としか言えなかった。「明日までに荷物をまとめて出ていく用意をしてください。明日、今月分のお給料を用意してお持ちしますから。本来なら振り込みなのですが、今回は特別です。

個人的にはこのまま続けて欲しいのですが、会社の規則なので個人の感情でそれを曲げる事は私の力ではで出来ません。」そう言って力なく立ち上がり帰って行った。

その日のうちに個人的に持ち込んだノートパソコンや衣類をまとめてバッグに詰めた。

私は20年以上派遣会社で働いた。突然転勤になったり、違う派遣会社に引き抜かれたり、色々経験してきた。だから必要以上の荷物は持たない事にして来た。

翌朝、言われた通りに朝10時頃、担当者が部屋にやってきた。「あなたの場合はこちらの都合という事にさせて頂く事が出来たので大阪までの交通費も支給させて頂きます。

どうぞ、お元気で。」と言って封筒を渡してくれた。これで暫くは食べていけるな、と一安心した。担当者は私と荷物を最寄りの新幹線の駅まで営業車で送ってくれた。そこで担当者と別れた。新大阪駅行きの切符を購入して列車に乗り込んだ。1時間とかからずに新大阪駅に到着し、新幹線を降りた。

とうとう入院~生活保護受給者になって~

 新大阪駅について、まずは地下鉄御堂筋線に乗り西成まで行った。安宿を探す為だが、何軒かホテルを回り、3か月4万円の所に決めた。手持ちもそう余裕はないのでハローワークに近い所と土地勘があることが決め手だった。その日はもう昼の時間だったので、近くのスーパーで弁当と缶酎ハイを買って戻り、遅い昼食となった。翌日からまた就職活動だ。もう悠長なことは言っていられない。とにかく仕事を探し回った。そしてある時、ある会社の面接の約束を頂き、翌日にその会社に向かって歩いていた。御堂筋線を歩いていたのだが、突然目眩がした。少し止まって休んだのだが、一向に収まる気配がない。そのうち立っていられなくなり、その場に座り込んでしまった。たくさんのサラリーマンたちが行きかう中、段々気が遠のいていくような気がした。その様子に気が付いた1人の方が「どうされましたか?。」とお声を掛けて下さった。しかし意識は朦朧として行く。そのあとは覚えていないのだが、救急車を呼んで下さったらしく,気が付いたら病院の処置室にいた。「このまま入院しなさい。」と言われた。そのあと病室で家族の事や仕事の仕事のことなど、色々質問攻めにあった。「色々病気を抱えている様ですから、しばらく入院して治療に専念しなさい。後のことは体が良くなってからで良いでしょう。」と医師に言われ、入院する事になった。暫くはおとなしく病室で寝たままだった。1か月が過ぎたころ、外出許可を貰えるようになった。早速ホテルに荷物を取りに行って病院に持ち込んだ。それからも週1回は外出しては近所で買い物をして副食などを買い込んだ。その病院は今時珍しく、屋上に喫煙所がありタバコの制限はなかった。3か月が過ぎたころ、大阪市保健福祉センターと言う所の職員がやって来て面会した。「これからどうしますか?。住所不定になっています。色々調べさせてもらいましたが、お仕事をしている時に社会保険等に加入していますね。退院したら取り合えず生活保護を受給しませんか?。そうすれば部屋も借りて病院にも通えますし、病気が治ったら働くこともできます。」との事だった。話が決まると事はトントン拍子に進み、約4か月の入院生活でマンションに引っ越した。近くの病院も紹介して頂き、そこから週1回の通院となった。淀川区役所から担当ケースワーカーさんが定期的に見えてずいぶん心配して頂いた。それから少しづつ動けるようになり、3年位経った時には何となく病気が治ったように感じられて、ケースワーカーさんにお願いして軽めのアルバイトを探して頂いた。それはマンションの清掃員の仕事だったが、慣れた来るようになると欲が出て、マンションを2軒担当するようになった。それからというもの、アルバイトで少しづつお金を貯めて中古のパソコンを買い、ポイントサイトやアンケートサイトの仕事もする様になった。一時は本当に元気になった気がして、又お酒を大量に飲むようになって行った。アルバイトを始めて2年目の夏、いつものように仕事に行き、マンションまで帰って来た時だった。突然脚が攣り自転車ごと倒れた。いくら起きようとしても起きられない。そのうち意識が無くなっていった。後で聞いた話だが、マンションんの管理人が気が付いて救急車を呼んでくれたそうだ。急性熱中症との事で3日間入院した。その頃、大分体重が減っていたのは気が付いていたが、毎日仕事をしているせいだと思っていた。

アルコール依存症と診断されて~そしてこれから~

 事の顛末を報告しに区役所へ行った。その時の担当ケースワーカーはすでに何人目かの方に代わっていたのだが、彼は比較的長く担当していてくれた。いつも収入申告をしに月1回は行くのだが、その時の様子を見て別室に通された。そして暫くして彼が部屋に入ってくるなり、「入院しましょう。前から感じていたのですが、その手の震え方もおかしいし、飲酒もなさっているんでしょう?。今回倒れたことも含めて考えるにお酒に原因があるのではないかと思います。」そう言って1枚のペーパーを私に手渡した。そこにはいかにも入院のための支度、といった内容の物が書かれていた。「明日、これを持ってお金も全部持ってここに来てください。一緒に病院に行きましょう。何でもなければそれはそれで構いませんから。」と言って部屋を出て行った。仕方なく自分のマンションに戻り、一応管理人にお礼を言って部屋に戻った。それから夕食を食べ、言われた通りの物を揃えてバッグに入れてその日は早くに寝てしまった。翌朝、約束の時間に区役所に行くと「時間がタイトなので急ぎましょう。」と小走りで駅に向かって行った。途中、出張中の係長さんと落ち合い、3人で電車に乗って病院を目指した。病院の指定の時間があったらしく、最後は走り出して、「後から来て下さい。」と行ってしまった。何もない田んぼと用水路のほとりの病院なので、彼の足跡は容易に分かった。私も汗びっしょり搔いていたので、看護師さんがタオルを差し出してくれて、「書類の事は付き添いの方に書いて頂きますから、その間に検査を済ませてしまいましょう。」と言い、私を車いすに乗せて色々と検査をした。その時驚いたのは尿の検査だった。何とか絞り出して出て来たのはこれまでに見た事も無い、まるでコーラのような色をした尿だった。その後、診察室に入り待っていると男前な医師が入ってきてこう告げた。「これはもう、立派なアルコール中毒。いわゆるアルコール依存症ですね。ここで頑張ってお酒をやめて健康な体になりましょう。もう、あなたはお酒は飲めない体なんですよ。一緒に頑張りましょう。」と力強く言って私を病室へと案内してくれた。最初の1週間は看護室の隣にあるガラス張りの部屋あだった。後で聞いたのだが、禁断症状が酷い人は幻覚や幻聴があったり、暴れだしたりする方もいるので24時間監視しているのだそうだ。私の後に入院してきた方の中には実際、そういう方が多かった。私は約3か月の入院で済んだ。その間、断酒会や定例会、AAなどいろいろな場面でアルコール依存症の事を学んだ。話を聞きながら我が身を振り返り、大いに反省もした。入院中に行なった事あある。それは引っ越しだ。この病院で学んだことの中に、人間関係がそうさせてしまう事もある事を学んだ。我が身を振り返ると、なるほど思い当たることが多々あった。環境にも影響を受ける事は盲点だった。入院中に学びながら良く我が身に置き換えて考え、環境を変えようと思って実行したのが引っ越しだ。今のマンションは比較的静かで歩いていける距離に繁華街はない。勿論、マンションにテナントも入っていない。そのことで主治医に相談したところ、それなら近くに私の知り合いが経営しているクリニックがある。そこを紹介するから是非通いなさいと気持ちよく紹介状も書いてくれた。実際引っ越しにはお金もかかったし、失った人間関係もあった。でも、こうして週1回の診察を受け、お薬を出して頂き、もうすでに退院してから4年の月日が経つが、まだお酒は飲まないで居られている。食べ物も美味しくなったし、あんなに高かった血圧も今では降圧剤無しで普通の結あうを維持出来ている。勿論夏になってテレビでビールのコマーシャルなんか見ると、いいなぁと思う自分もいる。それはそこ、過去の自分に戻りたくないと言う、確固たる信念がある限り断酒は続けていく。今では毎日月曜から金曜まで就労支援b型の作用所に通っている。ただ一つ、このあるオール依存症という病気は決して完治するとか完治したという事は無いそうだ。死ぬまで永遠の戦いなのである。今は作業所で仲間やスタッフさんたちと一緒に仕事をし、規則正しい生活を送れていることに感謝している。

その果ては永遠のボ・ルドール(金杯)を目指して。

weitten by 就労継続支援B型事業所 ユアライフ新大阪